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管理番号 2008
質問 Question 天保12年に七代目市川団十郎が川路村へ来た時のことが知りたい
回答 Answer 『信州伊那川路来演の記録』(歓迎記念事業実行委員会)に詳しく記されています。
この本によりますと、七代目市川団十郎一座は、天保12年(1841年)旧暦7月24日に川路に到着、8月初旬に10日ほど興行したこと、また江戸歌舞伎の名優が川路に来演したその背景には、天保改革時代の江戸金座改役、飯田出身の後藤三右衛門の助けがあったことが記されています。
『日本の演劇』(河竹繁俊/著)の中の「七世団十郎の遺墨」には、演目は「狂言は『菅原』の通しに『扇屋熊谷』を中幕にし、二の替りには、『忠臣蔵』の通しに『蓮生物語』を中幕とした立て方であったらしい」ということや、興行は大評判で「割れるような大入り続きであった」などと記されています。
『長野県史』近世史料編第四巻(三)には、「天保十二年七月 下川路村栄吉等宛江戸歌舞伎興行議定書」という史料が掲載されています。
 また、『江戸時代の信濃紀行集』(矢羽勝幸/編)の中に七代目市川団十郎の川路来遊記「遊行やまざる」という本が紹介されています。内容紹介の中で団十郎一行の動向が記されています。
 下記の本の他にも、郷土雑誌『伊那』1938年11月号「天保名優川路興行記」(北原源三郎/著)や同じく『伊那』1959年12月号と1960年1月号「七代目団十郎と大上家」(矢島勝/著)を紹介しました。
回答プロセス 『信州伊那川路来演の記録』に川路大上家(関島氏)に七代目市川団十郎来演時の資料があると記載されていたので『大上関島正司氏文書目録』を見たが団十郎関連の文書はなし、歴史研究所の関島氏の文書目録にもなし。平成28年現在関連文書は東京の大学で保存されている(未整理)。
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