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管理番号 2017
質問 Question 戦時中飯田に作家の岸田國士が疎開していたと聞いた。飯田に来た時期と帰京した時期が知りたい。また飯田の町に暮らした思い出を「飯田の町に寄す」という詩に記し飯田市に残しているがこの詩を飯田市に送った時期が諸説あるようだ。正確にはいつなのか知りたい。
回答 Answer 岸田國士が飯田に疎開していた時期及び「飯田の町に寄す」の詩を飯田市に送った時期は諸説あり、正確にいつということはわかりませんでした。
掲載があった資料は次のとおりです。
〇『岸田國士全集第28巻』の年譜には、昭和19年に来飯、昭和22年2月に帰京と記載があり。
〇ファイル資料「岸田國士」の中にある「飯田市報」第1号に「飯田の町に寄す」の詩が掲載されている。発行日は昭和22年6月26日。詩の後に火災前(昭和22年4月飯田大火前)に寄せられたものとある。
〇南信州新聞平成3年7月19日に掲載された記事「今日子さんの朗読詩「飯田賛歌」をめぐって」には、「飯田の町に寄す」の詩は昭和22年5月、一家が帰京される際に、当時市立図書館の主事で親交のあった高堂正男さんに手渡された作品とある。
〇南信州新聞平成20年7月19日掲載の「岸田國士と静話会のこと上編」には昭和19年12月に飯田の隣、鼎村に身を寄せたとある。また同年7月20日掲載の下編の記事には、昭和22年2月に「飯田の町に寄す」を託したとある。しかし、同年11月8日に追録編が掲載され、そこで岸田一家が帰京した時期は昭和22年5月と訂正している。「鼎駅へ多数の人達が先生一家を送られた時に、当時駅の一帯は田園で、蛙がすごくないていたという話を伺ったことがあったが、5月ならばこの話は頷ける」とある。
〇『下伊那文化事典5 郷土文化を育んだ人々』の岸田國士のページには、昭和23年につくられた詩「飯田の町に寄す」と記載がある。
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