リレーエッセイ     町民の数だけ心に残る本がある。

読むことで自分の世界を拡げる読書。感動した本との出会い、人に薦めたくなる一冊、
図書館の利用など、本の話を語ってタスキをつなぎます。


第三回

『忍ぶ川』と三浦哲郎と

後藤 田鶴 (上市田)

 

おぼろげな記憶だが、三浦哲郎が『忍ぶ川』で芥川賞を受賞したのは、昭和三十年代半ばだったと思う。

 当時の世相には、敗戦から必死で立ち直ろうとする親の世代と、終戦前後に生まれた大勢の若者の漲る力が溢れていた。洗濯機・電気冷蔵庫・テレビも目覚ましく普及し、人々の生活が一変したのである。

 芥川賞は作家を志す人の登竜門で、たいていは時代を先取りした作品が選ばれるのに、『忍ぶ川』は東北の奥地から上京した学生である主人公の私と、小料理屋で働く二十歳の志乃との結婚の経緯を描いた古風な物語だ。

 古風なのは、二人が暮らす家の造りや家具、そして、志乃はいつの時代も日本の男性が理想として求める、清潔でいきいきとして賢く、しかも従順で可愛い女性である。

 場末の安アパートや金銭に乏しい人ばかり登場するのに、生きるうえの汚れ―

懐疑や嫉妬や苦しさなどがなく、二人の世界は詩的に昇華されている。場面場面に、「この言葉しかない」という表現で読者を堪能させ、しかも、「人生はこうあるべき」という押し付けがましいメッセージがないのがいい。

 物語のラスト近く、田舎で家族だけの結婚式を挙げた日の夜半に、馬橇の鈴が聞こえるシーンがある。

―「在のお百姓が町へ出て、焼酎を飲みすぎていまごろ村へ帰るのだろう」

 まひるのようにあかるんだ野道を、馬橇が黒い影をひきずってりんりんと通った。馬は橇の上に毛布にくるまって腕組みしたまま眠りこけている馭者をのせて、ひとり帰路を急ぐのだろう、蹄鉄が月光をうけてきらきらと躍っていた。―

 この部分を暗記するほど読んだ覚えがある。

 三浦は、六人きょうだいの五番めで、二人の姉の自死と二人の兄の失踪という肉親の不幸を背負っている。そうした、離れたくもからみついているものをモチーフに、たくさんの短篇と唯一の長篇『白夜を旅する人々』がある。

 

 父が戦地から帰還できなかったので、わたしは大人になってからもやりばのない理不尽に苛まれていた。そんなわたしを、三浦作品はいつも癒してくれたのだった。